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mypotaling (まいぽたりんぐ)

身体障害者だけど走り続けます!!


ネット依存

  1. 2013/10/13(日) 22:09:58|
  2. パソコン
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ふと思ったので、どうも私です。(本日2度目)

ネット依存から立ち直るには「家族や周囲の協力が不可欠」(精神保健福祉士の前園真毅氏)で、「家族会は解決策を提示する場ではないが、何かきっかけをつかめる場になれば」と語る。産経新聞(9月23日)


分かるわ…orz
しかし、家族しかり周囲の協力も得られない私はどうしたらいいのでしょうか?(笑)

いっそPCなんてなければ…いや無理だな(笑)

そもそもPCを始めたきっかけ?は病気。
小学校の頃、有無も言わさず転校させられた(経緯はわからない)養護学校での話し。
その頃はNIDDM(1型若年性糖尿病)ですでに注射(インシュリン)治療をしていた。
腎臓はまだなかった。
その養護学校での良い思いではない。
だが、人生を変えた出来事はあったと思う。
当時小学生(4年)でいきなり家庭から病院へ、入院は今までに何度となくしているが
この時が一番長期に渡っただろう(3年間)
入学(入院)してまず、学校の設備を案内された、小学生は基本部活には入らないのだが
その病院(養護学校)は小中高とエスカレーター式(と言って分かるだろうか?)
学校も小中高と同じ校舎。
小学生には関係ないが、高校生の「部活」も見せてもらった。
そこで自分の目を引いたのが「電算部」(まぁ今でいうパソコン部みたいなもの)
何をして居るのかは分からなかったが高度な事をしているという事だけは判った。
なぜかその「電算部」にとても惹かれた。
と言うのもその前にこんな話しを聴いていたからかもしれない。
「いつか、コンピュータが小型化して、マイクロチップ(当時の言い方で)が開発されて
 チップを体に埋め込んで血糖値の自動測定、それに伴うインシュリンの自動摂取が出来る
 時代が必ず来る」
確か担任になった先生が言った一言である。
その頃コンピュータと言うものがなんなのかすら分からなかった。
世間では「ファミリーコンピューター」なるゲーム機が発売されたころだったろうか?
しかし、自分はまったくそう言うモノに興味が沸かなかった。
でも「電算部」で数人の高校生が一生懸命なにか作っている姿には惹かれた。
(何を作っていたかは分からない)
案内してくれていた先生に「入りたい」と言って見たが、当時のPC(電算機)は
1式40~50万という小学生には天文学的数字(価格)であった。
もちろん家の財政事情からもとても「買って」とは言えなかった。
でも、この時惹かれた思いはいつまでも消える事はなかった。
で、次に部名は忘れたが油絵を必死に書いている部活に案内された。
これもまた惹かれた(笑)、教室は油くさくかったが。
きっと何か一生懸命になれる物に惹かれたんだろうな。
ここでも先生に頼み入りたい旨を伝えた。
油絵の具などは先輩のを借り、小学生卒業までの3年間そこでお世話になった。
(もちろん小学生で部活は特例で(笑))
卒業までに1枚絵を書き上げた、学校に飾られたが今はどうなってるだろう?
(たぶんもう無いだろうな(笑))
亡くなった爺さんに油絵の具一式を買ってもらったのがとてもうれしかった記憶がある。
使い切りそれから油絵の具が買える場所がなく、泣く泣く辞めた記憶がある。
そして小学生卒業と共に地元の中学校へ転校。
当時は病人を受け入れるかどうか色々議論があったらしいがまぁ転校した。
小学生時代、勉強が頭に入らず中学ではいじめもあったし、ついていけない自分
お昼休みには必ず保健室へ行き注射。
当時の普通の中学でそんな奴は居なかったからそれもいじめに拍車をかけた。
当時、先に言った「ファミリーコンピューター」が普及して猫も杓子もファミコンなんて
時代だった。
でも自分はあまりファミコンに夢中にはなれなかった。

養護学校でみた「パソコン(電算機)」が頭から離れなかったから。
電気屋へ行くと「MSX」なんて個人向けパソコンが売られていた。
当時で3万前後、どう工面したかは覚えて居ないがなんとか買った。
買ったはいいが何をどうしたらいいのか分からなかった(笑)
当時は「プログラム」を組めば何かできるらしいというくらいしか知識がなく
プログラム雑誌なんてものも多々ありそれを読み漁った。
とりあえずBASIC(プログラム言語の一つ)を覚えた。
隣の家の息子及びそのお姉さんと3人でひたすらプログラムを打ち込む毎日
正直あの頃は楽しかった。
画面に文字を表示するだけとか文字を右から左に流すだけのプログラムでも
動いた時の感動ったらなかった。
みんなで大騒ぎして喜んだ記憶がいまでもある。
最初はそんな程度のプログラムから始まり、次第に雑誌に掲載されていた
プログラム(主にゲームだが)を打ち込みテープに記録(いまどきの人は分からんだろうな(笑))
ただ、雑誌に書かれているプログラムを打ち込んで実行するだけだが、
動いた時の感動、エラーが出て動かないとき何日もかけて原因を追究したりした
あの時間は輝いていたと思う。
もちろん当時、そんなPCよりもっと高度なPCもあったが、中学生の小遣いで買える代物では
なかった。(笑)
中学時代はずっとプログラムに明け暮れていたと思う。
中学時代「科学部」なんて奇妙奇天烈な部活に入部した。
たしか男子4人女子1人だったかな?
最初は理化室にあった薬剤を適当に(ぉぃ)弄ったりしていたが
3年になり本格的に実験(葉の細胞を調べたり)した。
これはこれで楽しかった、中学で唯一の自分の居場所だった。
女子も居たが恋愛感情はなかった(別にブスとか言う事じゃなくて
思春期と言う時期を病院で過ごしていたためそう言う感情を知らなかった)
恋愛感情なんてなくて、それでもみんな研究に一生懸命だった。
そんな「科学部」がとても居心地がよかった覚えがある。
「創る」楽しみを共有できる友人も出来た。
残念ながらその友人とは高校まで一緒だったが、友人の友人に
「あいつ(私)と付き合っているとろくな事がないぞ」と言われたらしく
高校でも勉学に着いていけず1年留年した事もあり、疎遠になってしまった。
だが、自分にとってはかけがえない友人であった事は間違いないだろう。
高校入試の時一緒に合格発表を観に行き、2人とも合格していたのを知った時
2人で学校の前で飛びはね抱き合いながら転がったのは今でも思いで深い。
その彼も自分と一緒にプログラムなどを研究して、高校卒業後IT関係の仕事についた。
その後は分からないが、いまでも元気にしていると思っている。
「創る楽しさ」を共有できた数すくない友人だったと思う。

自分は1年留年したが、それはマイナスだとは思って居ない。
そのおかげでいろんな人と仲よくなれたし、いじめはおろか
今で言う?「不良の集り」の様な学校だったがそう言う連中とも仲良くやってこれた。
きっかけはプログラムや趣味の読書だった。
いつからだろう、読書が好きになった(主に活字)今で言う「ライトノベル」と言う奴である。
あからさまに「不良」の人に面白いから読んでみな、と言ったのが始まり。
留年前よりも留年後の方がクラスに馴染めたし、部活もあれこれ掛け持ちして
生徒会に入り浸っては手伝いなんかもしてとても充実した高校生活を送る事ができた。
体育祭で、1人で畳6畳分の看板書いた(途中からみんな手伝ってくれたが)
これも今では忘れられない思い出の一つである。
その頃から「不良」だろうが「ヤクザ」だろうが、1人の人間であり
きっと通じ合えると思うようになった。

だが…おそらく人生最悪の事態は待っていた。
専門学校へ行き(専門学校で教える程度の知識は十二分に持ち合わせていたが)
彼女も出来た、がその彼女とかれこれ5年近く付き合いそろそろ…と思っていたとき
未だに心を劈く一言を言われた。
両親があなたの病気が心配だから付き会うの辞めなさいと言われたから
 別れて…」と言われた。
まぁ、5年も引きずった自分にも非はあると思うが…
「両親に言われたから」、「貴方の病気が心配だから」 ( ゚Д゚)ハァ?
なにそれ?(笑)
病気があると結婚できないわけ?、両親に言われたから?君の気持ちはどこにあるの?
それから精神的ショックで人と顔を合わせて会話ができなくなった。
なにを考えても「病気」が付きまとい、今でもそれが尾を引いている。
まぁ20歳まで生きられませんと宣告されていた事もあり自分にあせりがあったのも事実。
20歳の頃は「明日か?明後日か?」と悩みながら生きていた。
養護学校で共に病気と闘っていた人たちは次々倒れ、亡くなっていった。
次は自分か?と毎日悩んでいた。
もちろん家族にそんな弱みは見せた事はなかったが。
そんな中、唯一の理解者であると信じていた彼女からの心臓を貫く要な一言。
その頃から生き死にに興味が沸かなくなった。
それを少し変えてくれたのが仕事(バイトだが)で一緒になったとても人見知りの激しい
兄貴分、彼とは仕事で知り合い競い合うように仕事をこなした。
しかし、その彼も「2型糖尿病IDDM」を発症、自分は途中で病気が重くなり
仕事は続けられなくなり、社長の計らいで事務などやらせてもらったが、
とうとう仕事は無理な状態になり退社
それからも彼とは仲良く、休みになると迎えに来て連れ出してくれたり、
病気の事について話し合ったり、色々お世話になった。
だが…その彼も46歳と言う若さで他界した。

家族の理解は得られず、家族以上に信頼できた友人は亡くし、今はもう
生きる事に意欲が沸かなくなってしまっている。
だれも好き好んで毎日5回も注射したり、血液透析(血液から水分を抜くために
2日に1回4時間、体中の血液を抜いて浄化してもどすという治療をしたがるだろうか?
こんな毎日なのに「まとも」でいられるだろうか?
少なくとも自分は無理だ。
今迄数しれず「自殺」を試みた事がある。
自分で首を〆たり、シャント(分からない人は「シャント」で検索してください)
を切ろうなんてそんな度胸はないので睡眠薬飲んでインシュリン余計に打って
朝になれば死体の出来上がりなんて自分勝手極まりない事をしたりした。
最近は夜中に目が覚めて気が付くとインシュリンを握っていたりする(無意識に)
精神的に限界なんだろうな…
ただ、自分としては「彼」が生きた46までは生きて彼の見れなかった
後の時代を見ておきたいと思った。
それが今、生きる唯一の支えにもなっている。
あれこれやっているのは、自分に出来る事を探したいから。
もしかするとそれがまた生きるための糧になるんじゃないかと。

ネット依存が問題になっているが、自分にはネットの住民である事へのある意味
誇りがある。
少なくとも、知識と技術だけは一般人には負けない自負がある。
そしてこんな話しもネットだからこそオープンに話せるし。

疲れたときはいろんな人が作曲、作詞したボーカロイドの曲が癒してくれる。
そういった曲は感動するものもあり、自殺願望を唄ったものもあり、
希望を唄ったものもあるし、様々だが自分は既存の曲より
「作り手の気持ち」が篭ったこれらの曲が大好きです。
幼い頃あこがれたPCや油絵に通じるものがあるから。

まずは環境整備とストレスを貯めない環境づくりをしないといけない。
(まぁ99%無理だが(笑))
大学病院入院中に独自でストレスと血糖値の増減の関係を調べて、Drに
プレゼンしてみた、Drもその意見には賛同してくれた。
最近の中ではこれが一番自分の中で整理がついた事がストレス減退に繋がったと思うが
実家に戻ってきたら元通りになってしまった。
このままのペースでは長く持たないな…と感じてはいるが、
どうにもしようがない。
こまったものである。


※本日2度目のBGM 地球最後の告白を http://www.youtube.com/watch?v=qtuS_8MKXk0









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