mypotaling (まいぽたりんぐ)

身体障害者だけど走り続けます!!


ネタがない。

  1. 2016/03/15(火) 20:41:52|
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ネタがない、どうも私です。

んー、30年~40年前の話でも書いて置こうかな。

病気(I型糖尿病)に3歳の時に係りました。
そのころからインシュリン(注射)を続けています。

なんでそんな事をいまさら書こうかと思ったかと言うと…
先週まで入院していたわけですが、その際母と子供の頃(今でも子供か(笑))
の話をする機会がありました。

当時のインシュリン(注射)はブタもしくはヤギの膵臓液を精製したものでした。
現在のインシュリン(注射)は人間の膵臓液とほぼ変わりない精度の高い物です。

自分が小学校4~6年の間、養護学校(病院付属学校)にほおり込まれました。
同じような病状の子供(自分も子供だったが)が80人くらい?だったかないました。
I型糖尿病の子供(自分くらい小4~6年)の子供はそろって医師にこう言われていました。
親に対して「この子はこのままでは20歳まで生きられない」
誰一人違う事を言われた子供(患者)は居なかったでしょう。
原因はインシュリンの精度でした。
ブタ型とヤギ型と2種類(自分が知る限り)のインシュリン(注射)が唯一の薬だったのですが
いかんせん、人間の膵臓液とは違います、ブタ、ヤギのモノです。
このインシュリン(注射)を続けていても合併症や体に合わないと言った理由で
せいぜい20歳まで生きれれば良いほうだと言われていたのです。

自分と同じ病院(養護学校)に居た同じ病気の子供は8割亡くなりました。
1割は連絡が取れず生死が確認とれていません。

自分は運が良かった?のか20歳まで生きていました。
それまでに数回死にかけましたが(笑)

転機は20歳ころ訪れました。
「人」型インシュリンが完成し、認可され世に出回り始めました。
自分も「人」型インシュリンに移行し20歳のボーダーラインをなんとか
やりすごしました…が…
20歳まで生きられないといわれ続け20歳になった自分は
今日か、明日か、明後日かと毎日のように「死」を意識していました。
20歳~30歳までの間にまた数度死にかけました。

あの世というか「三途の川」と言われる場所を幾度も見てきました。
故:丹波哲郎氏 があの世は花であふれて云々などと言って居ましたが
自分が見た「三途の川」は周りは真っ白、はるか彼方に黒い線(地平線のようなもの?)
が見え、ただただ真っ白で一切の濁りのない空間に自分が浮いていました。
黒い線の方から呼ばれているような気がするのですが…
後ろ(と言う表現が正しいかはわからない)から「まだ行っちゃダメだよ」という
声のようなモノも聞こえてきます。

20歳の当時付き合っていた彼女の声のような気がしましたが真意はわかりません。

仕事中、BSのコントロールもうまくいかず高血糖昏睡(ケトアシドーシス)を起こし
無意識(?)で現場を離れ1Kmほど先にあったコンビニ(スーパー?)の公衆電話
まで歩き付き、本当に無意識だったのですが母の職場に電話をかけていました。
救急車を呼ぶという手段もあったのでしょうが、なぜか母の職場の電話番号が
頭に浮かび、ダイヤルし事務の方でしょうかの声を聴いて意識が飛びました。
どうも母が事態を把握したのかスーパーの方が状況を伝えてくれたのか…
病院に搬送され、病院のベッドの上で上に書いたようなただただ真っ白な(純白というのが
近いかもしれない)世界?にふわふわ浮いていたのでした。
医者が言うにはあと1分来るのが遅かったら死んでただろうとのことでした。

意識がない状況で数時間居たそうですが、半無意識の状況で、当時自分が所有していた
車(180SX(前期))のエンジン音(というか100パイのマフラーの音)を聞いて、
付き添っていた母に「親父が来たな」とつぶやいた事を覚えています。

5年くらい乗ったかなぁ180SX…

かれこれ40年、何度死にかけたか、いっそ死んだほうがいいと思ったが
無意識に夜中インシュリンを多量注射し、朝意識不明なんてことも多々ありました。
いまでは末期腎不全まで併発し、それでもしぶとく生きています。
2日に1回、人工透析を受けないとこれまた死亡フラグが立ちます。orz

自分には40数年生きてきて始めての「親友」と呼べる人と会社で出会いました。
家族以上に自分の病気について心配し、必要もないのに勉強し、病気に対する
理解をもってくれた人です、3歳ほど年上でしたし自分は長男なので「兄貴」的な
人でした、休みの日になるとわざわざ迎えに来て彼方此方連れて(連れまわし(笑))
くれたり、たまに2人で呑みに行ったり、体を動かすのがいいといえば一緒に
バドミントン(自分は中学生の頃からやっていた)したりしたのですが、
彼はⅡ型糖尿病だったそうで、「薬には頼らない」と頑なに薬は飲もうとしませんでした。
Ⅱ型で成りたて?なら飲み薬(血糖降下剤)でインシュリンは必要ないはずだったのです
が、「運動と食事」をしっかりコントロールすれば薬(飲み薬)にも頼らずやっていける。
とある本で読んだそうです。
彼の病状については聞いてもあまり話してくれず、心配はしていたのですが、
病院には行っていると言っていたしあまり苦しんでいる感じもなかったので大丈夫なのかな?
と思い自分からあまりその事(病気)については口にしないようにしていました。

自分の病状が思わしくなく、会社を退社した後も暇を見ては自分をいろんな処へ連れ出して
くれたとてもありがたい親友でした。

「でした」と書いたのでわかると思いますが彼はすでに他界しています。
訃報が務めていた会社から電話がありました。
3日前に、仕事で大きな書類を作らなければならなくなったんだが(PCで)、今度の日曜日
手伝ってもらえないだろうか?と言われていたので了解の電話をしたばかりでした。

幼いころから「死」を多々見てきた自分ですが、これほどショックを受けた事はなかったです。

それより以前に爺を亡くしたのですがその時はあまりショックもありませんでした。
十分な年月を生きてきた爺なのでゆっくり休めよと思った程度でした。

彼が亡くなってからどうも精神的におかしくなってしまったようで、毎日生きる意義を
探す気力もなく、このようなブログを立てて思った事、やったこと、を書き綴ることで
今日も生きたという証を立てていたのです…

ほとんど見ている人もいませんが、遠くにいてなかなか話す機会のない兄弟に
近況報告みたいなつもりで書いているのです。

親友が生きた46年までは生き続けられたらいいなと思っているのですが
どうなるかは自分はおろか、誰にもわかりません。

ブログが滞ったら(1か月以上)、死んだか、入院かです。
入院の場合は毎日は無理ですがたぶんブログを書き足すので前者の可能性が高い
かもしれません。

実につまらないブログですが1日数人でも見てくれていると思うと、
明日も頑張って何かネタを探そうと思えるのです。

自転車ネタはしばらく無理そうですが(笑)
まだ肌寒い上に、グラフト手術(人工血管)でかなり体力が落ちていて、
まだ自転車を漕ぐ余裕がなさそうです。

もう少し体調と気温が落ち着いたら以前計画していたポタリングをしたいなと
思っています。




2016・03・15 きたきつね







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